女川のホテル・エルファロでは、コンセントをお借りして充電。商店街での夕食中に雨が強くなり、戻ってみると、シートを掛けてくださっていました。
感謝、を超えて感激です。
今回の旅。急速充電ができないからこその「ありがたさ」があります。
「2001年充電の旅」(日本EVクラブのウェブサイト参照)のころ、仲間のみんなで「EVは不便だからこそ優しくなれる」と話し合っていたことを思い出しました。
翌朝には天気が回復。ブルーシートを干してお返ししました。
女川町
まさに、町が生まれ変わりつつあることを実感しました。
朝の駅前では、工事関係者の姿が目立っていました。
2013年にも訪れた病院の高台からの風景。
人も町も、傷をかかえて生きていく。
大川小学校跡
祈りを捧げる間にも、トラックが行き交います。
南三陸町、志津川の手前で出会った戸倉の風景。
新しい道、防潮堤。今、三陸に続いている風景は、日本の防衛(採算の特例)であり、「かさぶた」なんだと感じました。
南三陸町/語り部プログラム
南三陸町ポータルセンターで「語り部プログラム」を体験。案内してくれた佐藤慶治さんは24歳。3.11当時は高校2年生だったそうです。
「僕は、ここにいる人たちは、本当に生きているんだろうか。死んでいることに気付いていないだけじゃないのか」
約1500人が入っていた避難所で、給食の管理を担当する仕事を買って出て、毎日忙しく動き回る中で、生と死をみつめた体験を聞かせてくれました。
語り部は高齢者だと思い込んでいましたが、想定外の価値ある出会いに感謝です。
佐藤さんの家は、指さしている中学校の真上の海辺、流されてしまった商店街の中にあったそうです。ただ、家族はみんな無事だったとのこと。
220段の石段を上る途中で、津波の高さがここまでだったと教えてくれました。
予定より遅れているそうですが、南三陸町の中心地である志津川の風景は着々と変化しています。
ちなみに、佐藤クンは地震の時「高校の勉強合宿で高台の施設にいて助かった」とのこと。高校時代の佐藤クンは陸上部で活躍した中距離のアスリート。220段の石段で、年齢とパフォーマンスの違いを噛みしめた、僕(寄本)と堤さんなのでした。
晴天が一変して突然の雹が降り。
展示館は休館日でしたが、山形県からの修学旅行の小学生が見学に訪れていました。
実は、語り部ガイドの時間を利用して充電させていただきました。
元気と電気を届ける旅のはずが、電気も元気もいただきながら旅しています。
防災対策庁舎周辺、いや、志津川の町全体が復興・復旧の工事中。
献花台は200mほど離れた場所になっていました。
献花台駐車場で、工事現場のトラックがタイヤの泥を落とす場面に遭遇。初めて見たので、動画を撮ってしまいました。
南三陸さんさん商店街
2013年に訪れた時は、ポータルセンターと隣接していた仮設の「南三陸さんさん商店街」は、本設となり、場所も移動していました。
これからも、さらに魅力的な町になっていって欲しいと思います!
さんさん商店街の裏手からは、防災庁舎の上部が見えていました。
築かれている盛り土(堤防)の高さがわかります。